10月9日(木曜日)
朝7時に宿泊した
で朝食を食べました。

こんな朝食を食べるのは本当久しぶりです。
このところダイエットのため、
朝食に関してはバナナしか食べていなかったので・・・。
この日はまず
から、愛知県岡崎市に向かいました。
岡崎市に午前8時半に到着したものの、
取引先の開店時間が10時からになっておりました。
仕方なく開店時間まで時間調整をすることにしまして、
徳川家康の生誕の地「岡崎城」の観光に行ってきました。

これが「岡崎城」!立派なお城です。
興奮しました!


家康公の遺言や、周りのお堀です。
遺言には、天下は全て万民のためであると記してあり、
徳川家だけものではないと・・・。家康の人柄が感じられます。
お堀の周りも綺麗に整備されていて、
春には桜の名所として多くの人が訪れる市民の憩いの場となっています。

大手門前にある「徳川家康」像です。
雰囲気出ていますね〜。ドラマで見た家康もこんな感じでした。

「本多忠勝」像です。
私個人的には家康は好きな人物ではありませんが、
この本多忠勝は大好きです。勇猛果敢な徳川四天王の一人。
その他の徳川四天王は、酒井忠次・榊原康政・井伊直政です。
家康に終生仕え、天下取りを支えた名将達です。
名所巡りはここまで。
岡崎のお店で商談、その後は日進市、瀬戸市、江南市に行き、
予定していた出張は全て終了しました。
午後5時半に
に帰宅。
今回はゆとりがあってゆっくり商談もできていい出張でした。
毎回このような感じで進めばいいのですけどね。
by 加賀の武田信玄
岡崎城内に見たことのある銅像が・・・

ある有名な絵が銅像となっていました。
どういう絵かご説明しますと・・・またちょっと長くなるな。
1572年12月。
最強騎馬軍団を率い京都への上洛を目指す甲斐の武田信玄が、
行く手を阻む徳川家康と三方ケ原(今の浜松市)で激突!
京都に攻め上るため兵力を温存したい信玄は、
浜松城に篭る家康との戦いを避けて、
尾張(愛知県)を目指そうと兵を西に進めようとします。
これに対し、家康は自分の領土を素通りする信玄に怒りを露にします。
また信玄を足止めするよう織田信長は家康に援軍を出していました。
織田の援軍を得ていた家康は、
「戦うこともなくこのまま信玄を素通りさせては恥!」
と、家臣の反対を押し切り信玄に戦いを挑みます。
しかし・・・信玄はこのことを予測し、兵を反転させ徳川軍を撃破!
家康は初めて屈辱を味わいます。命かながら浜松城に戻った家康は、
あまりもの恐怖に小便を漏らしてしまいます。
家臣の反対を押し切っての出陣や、また自信過剰になって家康は、
今回の無茶な戦いを終生忘れないようにと絵師を呼び、
家康自身の反省を込めて、この銅像の絵を絵師に描かせます。
家康が味わった惨めさが感じられる絵です。
その後天下を取る家康が、生涯忘れられない負け戦でありました。
勝った信玄は戦いの後尾張に予定通り向いますが、
その途中で病死・・・。あと2年いやっ1年生きていれば、
信長もどうなっていたか?もちろん家康が幕府を開くことは無かったでしょう。
朝7時に宿泊した
で朝食を食べました。
こんな朝食を食べるのは本当久しぶりです。
このところダイエットのため、
朝食に関してはバナナしか食べていなかったので・・・。
この日はまず
から、愛知県岡崎市に向かいました。岡崎市に午前8時半に到着したものの、
取引先の開店時間が10時からになっておりました。
仕方なく開店時間まで時間調整をすることにしまして、
徳川家康の生誕の地「岡崎城」の観光に行ってきました。

これが「岡崎城」!立派なお城です。
興奮しました!


家康公の遺言や、周りのお堀です。
遺言には、天下は全て万民のためであると記してあり、
徳川家だけものではないと・・・。家康の人柄が感じられます。
お堀の周りも綺麗に整備されていて、
春には桜の名所として多くの人が訪れる市民の憩いの場となっています。

大手門前にある「徳川家康」像です。
雰囲気出ていますね〜。ドラマで見た家康もこんな感じでした。

「本多忠勝」像です。
私個人的には家康は好きな人物ではありませんが、
この本多忠勝は大好きです。勇猛果敢な徳川四天王の一人。
その他の徳川四天王は、酒井忠次・榊原康政・井伊直政です。
家康に終生仕え、天下取りを支えた名将達です。
名所巡りはここまで。
岡崎のお店で商談、その後は日進市、瀬戸市、江南市に行き、
予定していた出張は全て終了しました。
午後5時半に
に帰宅。今回はゆとりがあってゆっくり商談もできていい出張でした。
毎回このような感じで進めばいいのですけどね。
by 加賀の武田信玄
岡崎城内に見たことのある銅像が・・・

ある有名な絵が銅像となっていました。
どういう絵かご説明しますと・・・またちょっと長くなるな。
1572年12月。
最強騎馬軍団を率い京都への上洛を目指す甲斐の武田信玄が、
行く手を阻む徳川家康と三方ケ原(今の浜松市)で激突!
京都に攻め上るため兵力を温存したい信玄は、
浜松城に篭る家康との戦いを避けて、
尾張(愛知県)を目指そうと兵を西に進めようとします。
これに対し、家康は自分の領土を素通りする信玄に怒りを露にします。
また信玄を足止めするよう織田信長は家康に援軍を出していました。
織田の援軍を得ていた家康は、
「戦うこともなくこのまま信玄を素通りさせては恥!」
と、家臣の反対を押し切り信玄に戦いを挑みます。
しかし・・・信玄はこのことを予測し、兵を反転させ徳川軍を撃破!
家康は初めて屈辱を味わいます。命かながら浜松城に戻った家康は、
あまりもの恐怖に小便を漏らしてしまいます。
家臣の反対を押し切っての出陣や、また自信過剰になって家康は、
今回の無茶な戦いを終生忘れないようにと絵師を呼び、
家康自身の反省を込めて、この銅像の絵を絵師に描かせます。
家康が味わった惨めさが感じられる絵です。
その後天下を取る家康が、生涯忘れられない負け戦でありました。
勝った信玄は戦いの後尾張に予定通り向いますが、
その途中で病死・・・。あと2年いやっ1年生きていれば、
信長もどうなっていたか?もちろん家康が幕府を開くことは無かったでしょう。
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