スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

出張のついでに

5月13日から四国、九州、中国方面への出張へ。
13日の四国は徳島から瀬戸内沿岸を西へ向かい、
午後3時に松山に到着、そしてフェリーに車ごと乗りこみ九州上陸。
13日夜は大分市内宿泊。

14日は九州大陸を横断。
大分から熊本、そしてそこから北上し久留米宿泊。

15日は久留米から福岡市内を経由して関門海峡を渡る。
山口県内に入り周南、岩国などを経由して広島に入りここで宿泊。

16日は広島市内から帰路につく。
途中、福山へ寄りそのあとは一気に山中温泉へ。
まさに「本能寺の変」の後に羽柴秀吉が行った中国大返しである!

出張は車での移動時間がほとんど。
時間との戦いであります。

そんな中でも予定通り営業を終えて、
各地の名所を巡るのことが稀にあるのも楽しみの一つ。
今回は私が初めて訪れた観光名所をちょっとご紹介致します。

PhotoGrid_1400139952012.jpg
山口県岩国市の名勝「錦帯橋」
木造の見事な曲線を描いた橋です。
錦帯橋からは後ろにそびえる横山山頂には復元天守閣・岩国城がある。
錦帯橋を渡るには300円必要です。今回は時間の関係上見渡すだけで十分満足。

PhotoGrid_1400283994714.jpg
そして16日は何年ぶりだろうか忘れましたが広島で宿泊して、
夜は広島焼、焼きカキ、たこの刺身を食べた。
出張で訪問したところの名物を食すことができました。

17日朝、世界遺産「原爆ドーム」を間近で見ることができました。
くしくも集団的自衛権の容認するかどうか安倍首相が会見するというニュースを耳にした後、
原爆ドーム周辺をぐるり一周してきました。
戦争を悲劇の象徴とも言えるここに来てみると、
今の日本は平和なことを改めて実感させられる・・・。

いつまでもこの平和が続くことを祈るばかりです。


by  加賀の武田信玄


錦帯橋近くにある岩国城は、
戦国時代末期関ヶ原の戦い後に、毛利一族の吉川氏が築いた名城。
関ヶ原の戦いで本家の毛利家が西軍に属したが、
吉川家当主・吉川広家が徳川家康の勝利を信じて疑わず、
関ヶ原では戦いに毛利一族は参戦しないと家康に密約していた。

結果、毛利軍は吉川広家に参戦するよう命じるが、
弁当を食べる時間が必要だなどと言い参戦すること拒否。
広家の陣が前戦に位置していため、毛利軍は道を塞がれ参戦することができませんでした。
西軍主力が全く動かなかったことにより、家康の東軍が勝利した。
広家は家康にとっては、西軍を寝返った小早川秀秋に匹敵する恩人なのだ。

毛利家は関ヶ原の戦い後、当時西国一の所領石高を誇ったが、
西軍総大将という名目だけで領地を大幅に縮小された。

家康へは東軍の黒田長政(黒田官兵衛の長男)を通じて、
戦いに参戦しないなら所領を安堵すると広家は約束していたが、
毛利家は断絶は免れたものの大幅な減俸されだまされたような感じだったでしょう。

関ヶ原戦い前後は広家への毛利一族からの風当たりも強かったが、
家康に懇願して毛利家を存続させた人物として、
後世にその名を残したと言えるでしょう。

戦いだけではなく、家康の老獪な外交ぶりが発揮させたとも言えますね~
が、しかしこの恨みを、
江戸時代末期徳川討幕の先頭に毛利家が立つことになるとは、
家康でも考えられることができなかったことでしょうな。
因果は巡るということわざが、徳川・毛利両家に当てはまる例ですね。


















スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

プロフィール

加賀の武田信玄

Author:加賀の武田信玄
ようこそ
インテリア クロック
オルゴールフレーム
by IKEDA CO.,LTD

StarFirstWatch

3ET製StarWatch
Present's by サンエタ

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。