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熊野から和歌山市へ

7月27日(日曜日)午後1時~
熊野三山を制覇したM漆器組合青年部メンバー10名の日程は、
バスで次なる目的地「根来寺」へ向かった。

DSC_1059.jpg
写真左側の建造物ですが、
丸みのある変わった塔?というべきか・・・

根来寺というくらいですから、
和歌山紀州漆器の塗、根来塗が随所に施されている。

DSC_1064.jpg
建立が1547年だから戦国時代の鉄砲伝来の時期くらいですね。
それに関連しているのか分かりませんが、
鉄砲を得意とした雑賀衆の拠点として、これら勢力を支援したようです。

たまたま旅行に行く前に「村上海賊の娘」という歴史小説を読みましたが、
それに織田信長に対抗している本願寺に味方する鈴木孫一やの雑賀衆が登場する。
本願寺は最後まで信長に抵抗し、孫一も鉄砲を片手に奮戦する姿が描かれている。
そんな歴史背景を思い出しながらの参拝でした。

戦国時代は寺院が勢力を伸ばすことを危惧した武将たちが、
その災いを未然に防ぐため焼き払らうことが多かった。
この根来寺も、勢力拡大を恐れた羽柴秀吉によって一度は消失したようですが、
徳川幕府の時代には紀州藩の庇護を受けて再建、そして現在に至る。
この周辺の神社、寺院は紀州徳川家が再興したものが多いですね~

DSC_1072.jpg
竜安寺石庭かと思わせる見事な庭園でした。
庭園を備える屋敷にはこれまた根来塗の家具などがありましたね~


根来寺を参拝して、この日泊まるホテルに到着したのは午後5時前・・・
ずっと参拝し続けた長い一日でした。
夜は、紀州漆器青年部の皆さまと懇親会でした。
色々をお気を遣っていただきましてありがとうございます。

M漆器青年部研修旅行は、
残すはあと一日となりました。


by   加賀の武田信玄

紀州徳川家は、徳川家康が晩年に授かった子たち(尾張家、紀伊家、水戸家)が、
のちに御三家と呼ばれたうちの一つ。
特にこの紀伊家と呼ばれる紀州徳川家は、
家康から直系で続いた徳川将軍家が途絶えた後に、
徳川幕府八代将軍・徳川吉宗を輩出するお家。

熊野などの紀州の寺院の再建に大きくかかわった紀伊家。
紀伊家がなかっら、今のように世界遺産として認定させることもなかったかも。

徳川幕府も大政奉還まで、
吉宗の子孫が将軍になっているので、
徳川の世を継続させた大きな要因の一つであることは間違いありませんな。










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