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敦賀湾を見下ろす

8月14日(火曜日)午前11時~
気比神宮参拝後、車に乗って市内を観光継続。
観光というべき面白いところはほとんどない敦賀市内ですが、
山手へ車を走らせ、
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金崎宮(かねがさきぐう)に行ってきました。

20180814_112450.jpg
ここにも天皇家のご紋がありました。
金崎宮周辺は歴史的にも契機となった合戦があった場所として知れらています。

20180814_112030.jpg
室町幕府成立前後の南北朝時代に、
北朝の足利尊氏と南朝の後醍醐天皇が争ったことをさし、
その際、後醍醐天皇は別に新田義貞(にったよしさだ)に命じ、
尊良親王・恒良親王を 奉じて北陸道の鎮撫、官軍再興のために下向せしめられた。
新田義貞一行は雪中の木の芽峠を越えて敦賀(つるが)に着き、
氣比神宮(けひじんぐう)の大宮司氣比氏 治に迎えられその居城、金ヶ崎城に入った。
一方足利尊氏は高師泰(こうのもろやす)を総大将として、
兵六万余もって陸海より金ヶ崎城を攻撃、
結果、北朝側の大勝利で終わった。
尊良親王は新田義顕(新田義貞嫡子)以下将士三百余人と共に亡くなられた。
尊良親王御年27歳、義顕18歳であったと伝えられる。

その御霊を慰めるべくこの金崎宮が造られたので、
天皇家との関わりがある地として後世に伝えられている。

その後、戦国時代には織田信長が越前・朝倉氏を討伐のため出兵。
が、妹・お市が嫁いだ浅井長政の裏切りにより、
挟み撃ちになることを恐れたことをここで知り、
急ぎ逃げて九死に一生を得た金ヶ崎の退き口としても有名。
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天守閣があったとされる高台に上っていくと、

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月見をしたとされる「月見御殿」から敦賀湾を一望できる。
戦国武将がどんな気持ちでここからの眺めを見ていたのだろうか?

意外と歴史好きにはディープな敦賀市ではないだろうか。



by  加賀の武田信玄


昼食には昆布館へ行って試食三昧。
20180814_131121.jpg
昆布茶の昆布梅茶も飲み放題!

以前にも来たことがありますが、その時に食べれなかった昆布うどんをお昼に食べた。
20180814_124005.jpg
これまた昆布と天かす入れ放題!
昆布だしのうどん美味しかったですよ。













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