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討ち入りじゃぁ~!

今日12月14日は、赤穂浪士47士が吉良邸へ討ち入りした日。
c3231.jpg
主君浅野内匠頭の敵を見事討ち取りました。

江戸城松の廊下で、吉良に切りかかり、
即日浅野内匠頭は切腹、お家とり潰し。
幕府の高家(こうけ:朝廷と幕府の橋渡し役)だった吉良上野介にはおとがめなし。

この裁定・・・当時は喧嘩両成敗が当たり前と言われていたので、
赤穂藩の家来たちは烈火のごとく怒り、
すぐにでも敵を取ろうとします。

松の廊下事件から、1年10ヶ月もの間、
討ち入りをしようとする家来をなだめて、
最後まで浅野家の再興を目指したのが、大石内蔵助です。

しかし当時の5代将軍徳川綱吉は、浅野家再興を拒否し、
残るは、もう討ち入りしか道がありませんでした。

必ず大石は討ち入りを果たすと周りが騒ぎ始めた時、
大石はその意思がないということを世間に知らしめるため、
酒を飲んで騒いだり、京都山科で隠居生活に入ります。

世間では、あんな様子の大石が敵討ちできる訳がないと、
思った時に大石は行動を起します。
それまで、家来たちは江戸でバラバラになって暮らし、
生活して行くのも大変でした。
そういう生活が続くことで、討ち入りを諦め脱退する家来も数多くいました。

残った47士で12月14日未明に、
吉良邸の表門と裏門二手に別れて吉良邸へ討ち入り!

この討ち入りするにあたり、
吉良邸の平面図を手に入れたり、
茶会がある日は、吉良上野介は在宅であるということを確かめていました。
ただ討ち入りしても吉良本人がいないとどうにもなりませんからね。

14日以前にも茶会が予定されていて、
この日を討ち入りの日にと一度は決行するつもりでしたが、
急遽茶会が中止になり、大石や家来もかなり落胆します。
決行すると決めた以上、思い残すことはないと、
お金や食物などを一気に無くなってしまっての茶会中止。
茶会が中止になっても、吉良は必ず在宅しているから予定通り決行と、
家来達が言いますが、大石だけはこの時はじっと我慢しました。

討ち入りに至るまで、色んなドラマがあった訳です。
大石我慢強さには、人を惹きつける何かがありますね。
また日本人はこういう敵討ちが大好きですからね~。


by  加賀の武田信玄


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その討ち入りの日と同時にこの世に生をうけたのが私・・・。
もう37歳~。
夕食も大好きな「タコ焼」で祝ってもらいました。
でも中身は「タコ」ではなく、こんにゃくやソーセージ、それとチーズ。
特にチーズを入れると、焼いている時に中で溶けて、
外に油がにじみ出て、正面の皮がパリパリで中身はジューシー!
美味しかったです。
タコだけではなく、チーズ入れるのはお勧めですな。










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