FC2ブログ

和歌山城

前日マリーナシティーでたっぷり遊んで、
この日は和歌山市内のホテル近くを観光。

歩いて10分の位置に、
逕サ蜒・083_convert_20100506115835
和歌山城があります。
車をホテルに停めて行ってよかった~
和歌山城の駐車場でさえ満車になるくらいです。
GWはどこもいっぱいですね~

逕サ蜒・078_convert_20100506110801
「えいえいオー!」でいざ入城!

いいね~お城というのは。
でもこの和歌山城内は、鎧や兜が展示してあり、
現代風の内装になっておりました。

逕サ蜒・079_convert_20100506110826
天守閣からの眺め。
この360度市内を一望できるのが城の良いところではないでしょうか。


さて和歌山城の歴史は、豊臣秀吉の弟秀長が築城を命じたところから始まり、
関が原戦いで徳川家康に味方した浅野氏がその後和歌山入り。
そして、徳川家康の十男頼宣が55万5千石をもって入ってからは、
徳川幕府西国支配の拠点として、明治維新まで栄えました。

徳川御三家(名古屋、和歌山、水戸)として、
徳川本家の将軍に跡継ぎがいない時などに、
この御三家から将軍職を継ぐ者を出し、徳川の世を末永く発展させるという
家康の遺言がありました。

戦国時代の勝者となった家康は、
織田信長や、豊臣秀吉が跡継ぎに恵まれない様子を身近で見ていて、
自分になにかあっても、とにかく多くの子孫を残し、
徳川家の血筋を絶えないようにしたのです。
10人以上の男の子に恵まれ、徳川を磐石の態勢にしてこの世を去りました。

すごいのは、60歳前後でも子どもを作ったのだから元気だよね~。
和歌山紀州藩主頼宣もその一人。
実際、本家の血筋が絶えた時に、将軍となったのは、
当時紀州藩主だった徳川吉宗です。
暴れん坊将軍でお馴染みの徳川吉宗。
本当に暴れん坊だったのか?


そんなことを色々を考えながら、城内を見学しました。
城から出てみると・・・
逕サ蜒・081_convert_20100506110853
公園内に動物園もありました。
孔雀や鹿など、よくある動物園ではあまり見かけない動物がいました。
この動物園は無料でした。ありがたいね~!

和歌山城内観光を午前中いっぱいして、
ゆっくり帰路につきました。
やっぱり高速名神自動車道はちょっと渋滞していましたが、
ニュースになるほどの25~30キロといった長い渋滞ではなかったので良かった。
夕食も食べて、帰宅は午後8時ごろでした。

旅行に行く前、
「和歌山って何があるん?」とよく質問されました。
何でしょうね~?南紀白浜ではないから、温泉やアドベンチャーランドはないし、
和歌山城とマリーナシティー、そして私の大好きな梅干でしょうか?

とにかく一度行ってみても良いところでしょう。


by  加賀の武田信玄


逕サ蜒・082_convert_20100506110929
和歌山城前にこの銅像がありました。
暴れん坊将軍徳川吉宗像です。

先ほども少し話しましたが、
実はこの吉宗は、紀州藩二代藩主光貞の長男ではなく三男。
しかし!兄たちが若いうちに死んでしまったため、
棚ぼたで、紀州藩主になりました。運が良い!
紀州藩五代藩主となってもこの強運は続き、
七代将軍家継が幼少で亡くなったため、徳川幕府八代将軍に就任します。

将軍就任時は財政難に陥っていた幕府に享保の改革を実行。
質素倹約や、米の価格安定など政治手腕を発揮します。
とくに米の価格には人一倍注意していたらしく、「米将軍」というあだ名がつくほど。

吉宗以後の幕府は、
吉宗の子孫を中心に政治が行われます。
勿論徳川御三家もいますし、吉宗の子孫で形成される御三卿(ごさんきょう)もこの時から。
御三卿は田安家、清水家、一橋家のことを指します。

まさに徳川吉宗は、幕府中世の祖、
または、小家康とも呼ばれ、250年幕府が続いた原動力といってよいでしょう。


暴れん坊将軍・・・ドラマとはちょっと違った印象ですね。






スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

プロフィール

加賀の武田信玄

Author:加賀の武田信玄
ようこそ
インテリア クロック
オルゴールフレーム
by IKEDA CO.,LTD

StarFirstWatch

3ET製StarWatch
Present's by サンエタ

月別アーカイブ

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード