福井へ用事で出かける

6月25日(金)午後から、福井県の仕入先へ用事で出かけた。
午後の良いドライブとなるはずだったが、
サッカーを午前3時半から見続けていたため、
昼食後の車内は睡魔に覆われていた・・・。

午後3時半に用事を済ませて帰社する途中に・・・
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越前一乗谷の朝倉氏遺跡についつい寄ってしまった。
観光客が大勢いましたよ。
それに釣られたという訳ではないのですが。

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ここに戦国時代栄えた朝倉氏の居城がありました。
背後の山に向って、屋敷が建てられていたのでしょう。
この屋敷後だけではなく、この辺り一面が城下町だったようです。

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居城の丘の上からは、復原された町並みも見ることができる。
町並みの中に入るのは有料ですが。
何度か訪れていますが、中はまだ見たことがないので今度ゆっくりと。


by  加賀の武田信玄


戦国時代越前地方に栄えた朝倉氏。
戦国大名の先駆けとして、分国法(今でいう地方条例のようなもの)を制定し、
戦国時代の武将たちの影響を与えた名門でした。

織田信長の勢力が強大化し、その侵略の魔の手が越前にも迫ってきました。
新興勢力の信長に、名門としての意地があった訳ですね。

その時、信長の妹お市と結婚した近江(滋賀県)の浅井長政は、
朝倉氏との長い友好関係を維持し、同盟している信長に反旗を翻します。

信長が朝倉討伐のため越前に侵攻した時、長政は背後から信長を襲おうとします。
朝倉浅井の両軍で、信長を挟み撃ちしようと試みますが、
お市が信長にこのことを、
両端を紐で縛った小豆(袋のねずみだよって感じ)を信長に届けます。
これを見た信長は、自分が挟み撃ちになることを悟りすぐさま撤退します。

この長政の裏切りにより、
その後長きに渡る織田と朝倉・浅井に戦いになる訳です。

結局、朝倉・浅井両氏は信長に滅ぼされるのですが、
この朝倉氏の信長への意地と対抗心によって、
信長は妹お市と疎遠になるなど大きな犠牲を払うことになるのです。




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